忘れられない日

まだ若かった26歳の寒い日、あるパーティーに誘われた。

セミフォーマルでとの指定。女性はカクテルドレス、男性であればダークスーツあたり。タキシードもたくさんいた。会場は、今は無き渋谷のロシア料理のお店。14時半の集合に向かうと、外国人や知らない顔も含めかなり多くの人で賑わっていた。

その店にはよく通っていたが、その日はいつもはないテレビが前に置かれ、参加者はおもむろに馬券や新聞を取り出した。

そう、有馬記念の日である。あの伝説の名馬、オグリキャップのラストランの日であった。ただその時点では、まだこの馬がこんなにも後世に語り継がれるとは思っていなかったが。

世はバブルの頃。女性も競馬場に足を運んでいた時代である。オシャレな格好で競馬場でデートしたり、合コン的に男女の出会いの場としても利用した。私も、府中や大井には何度も遊びに行ったりした。

私を誘ってくれた人たちは、6歳以上も年上の男性ばかりで、この手の大掛かりな企画をいくつも立ち上げるような人で、私たちのことも妹のように可愛がってくれた。

どこへ行っても、私は年齢が一番下で、だからいろんな席で割と恥ずかしいこともやらされた。ゲームをやる時の見本係とか、皆の前で歌わされたり、下品な内容はなかったものの人前にさらされる役回りを仰せつかる事が多かった。

でもその代わり、いろんな事を教えてもらった。お酒の飲み方であったり、会話の仕方であったり、イヤな事に遭遇した時の身のかわし方だったり。そして必ず私を守ってくれて最後は私がハッピーになるようにしてくれた。お財布を出す事もただの一度もなかった。

この日も、パーティーの序盤に私が前に呼び出され、有馬記念でどうしてその馬券を選んだのか説明せよ、と急に言われた。私自身は競馬に詳しいということではなかったので、前日からエイトや勝馬で解説者が言っていたことを寄せ集めた知識を駆使して、適当に見解を述べた。そして、この期に及んでオグリキャップが全盛期の力を発揮したら、競馬場自体が震える結果になるだろう、と適当を言った。

結果は…。

本当にそうなってしまった。ファン投票で1位に選ばれたというものの、まさか一等で来るとは多くの人が思っていなかったのではないか?

画面から見る中山競馬場も相当に盛り上がっており、“オグリ、オグリ…”と声援が止まなかったが、こちら渋谷でも、同じように声援が鳴り止まなかった。

よくやったぞ。と彼らは私を褒めた。そして最後に、会場にいる全員に向かって、今日のパーティの盛り上がりは彼女の予想的中のおかげだ。今後は、彼女は界隈の店の出入りはフリーパスにしてくれ、と言った。

その日は2次会、3次会、4次会とつき合わされた。徹夜で騒ぐ羽目になってしまった。寒いと言えば毛皮を貸してくれたり、喉が乾いたと言えば、すぐ飲み物を出してくれたり、化粧が崩れれば、仕事にしている人がメークを直してくれたり。

私はお姫様か。

お兄様方にはその後もしばらくは可愛がってもらえたが、特段顔パスできる店はどこにもなかった。果たして、いい思いを私はしたのだろうか…?

毎年、有馬記念の日が来ると、このことを思い出す。