親分

24、5歳の頃、一部の友達から「親分」と呼ばれていた時期があった。
先輩の結婚式の二次会で知り合った、新郎側の後輩の人たち。年がほとんど変わらないのもあって打ち解け、その後3〜4年はよく一緒に遊んだ。当時、学生の就職人気ランキングでトップを取った会社の人達だったので、とても勉強ができる真面目な人が多かった。昭和から平成に変わるあたりだったので、当然携帯電話もない。会社にもパソコンがようやく普及され始めた、なんて言う時期である。

彼らは、私の、無鉄砲なエキセントリックな行動が面白かったと見えて、いろんな事を聞いてきた。「年下の彼女が出来たんだけど、会話が続かないんだ…」「車を買おうと思っているんだけど、AとBとどちらがいい?」

若い彼らは、次の目標=いい結婚、をするために一生懸命であった。

私とは、男同士のつきあいだったので、普通なら女性に直接聞けないことをガンガン聞いてきた。彼らが私にいろいろ尽くしてくれるので、私の方も協力をしたりした。

ある時、デートを頼まれた。
それまでも二度ほどお酒を飲んだことのある彼。「なぜ?」「あいつは一度もデートをした事がないんだ。協力してほしい。」と。目立つタイプの人ではなかったが、人の話を良く聞いてくれるタイプの人みたいだったので、「いいよ。デートしよう。」

待ち合わせは下北沢。当時はカフェバーと言ったかな? コンクリート剥き出しのお店で、地中海料理と当時はまだ珍しいワインが主流のお店で食事をした。ウィスキー党の私は、あまりワインは飲んだことが無かったので、お店の人の話を聞いたり、彼の葡萄のうんちくを楽しみながら時を過ごしていった。
途中で、やばいかも…と嫌な予感がした。あまりにも彼が一生懸命だったのだ。飲むペースが速すぎる。仕入れた情報をくまなく披露するあたり、バテてしまわなければいいが・・・。

予感は的中。
バタッと倒れてしまったのだ。ありゃ〜。
そこからは大変!奥で少し休ませてもらって、お店の人に粗相をしてしまった詫びを入れ、勘定の精算をし、その後、さすがにホテルに行く訳にはいかなかったので、渋谷のファミレスみたいな居酒屋にタクシーで連れて行き、朝までソファに寝かせて、甲府まで帰らなければいけない彼の電車の時間を確認し、大丈夫なのを見届けてから送り出す覚悟をした。携帯もない時代。ウォークマンを持ってくればよかった…などと思いながら、朝まで時間を潰した。途中、彼が気持ち悪いと言ったので一緒にトイレに行ったりもした。

そして、朝になり、
彼が目を覚ました。自分でも事態は分かっているようで、「ごめんね…」と言ったきり何も言わない。「大丈夫?」とも「始発電車はね…」と、こちらからも何も言えなかった。とにかく今必要なのは、私がこの場から去ること。酔いの方は大丈夫だろう。私は、居酒屋から一人で家までタクシーで帰った。

後日、別の友人から電話があり、大変だったね、と言われた。しばらくは、件の彼も何も言わなかったらしい。だいぶ経って、状況を話せるようになってから友人たちに報告したとのこと。
「ホントだらしねえよな。男のくせに。マニュアル通りに動こうとしてさ。馬鹿だよな〜(笑)」。
たまらず私は電話を切った。
私だって、その彼がホットドッグプレスの書いてあるとおりに、淡々と事を進めていたのは分かっていたよ。もっと力を抜いたらいいのに、自分の気持ちに素直になればいいのに、と思ったよ。

でも、私は、真面目を馬鹿にする人が一番嫌い!
デートのデビュー戦を一生懸命頑張っている姿がなぜ悪いのだ。マニュアル通りにしか動けなくたっていいじゃないか。何だか変だけど、彼を擁護する気持ちでいっぱいだった。

私は手紙を書いた。
一通は、後日電話をくれた友人。「私は、真面目であることを馬鹿にする人は大嫌いです。」
もう一通は、デートの彼。「一生懸命プランを考えてくれたことありがとう。葡萄の話、とても面白かったよ。キミは聞き上手だね。」といった内容。

返事が来た。「本当に申し訳なかったこと。かなり落ち込んでいる。葡萄は、自分が甲府営業所に来て営業先でいろいろ勉強したこと。酒がそんなに強くない自分がワインは不思議と好きで興味が持てる、ということ。」

すべての一連の状況が、友人たちに知るようになるまで、二ヶ月くらいかかった。
酔っ払いの介抱とその後彼を守った態度、が変に評価されて、仲間内から「親分」と呼ばれるようになった。絶交通告をした友人とは、後日仲直りをした。その友人は「舎弟」と呼ばれるようになった。